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eskky28

Author:eskky28
男、47才、A型
趣味はドライブ、サッカ-、読書(歴史)
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)

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日本の歴史とつながる週末御朱印さんぽ
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記
恵那山へ登山
令和三年十月二十三日に恵那山へ登山
恵那山は長野県阿智村と岐阜県中津川市にまたがる、木曽山脈の最南端の標高2,191 mの山である。日本百名山及び新・花の百名山に選定されている。岐阜県は胞山県立自然公園に指定している。


「恵那山」の由来は、天照大神(あまてらすおおみかみ)の伝説にちなみます。天照大神は男神の伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と女神の伊弉冉尊(いざなみのみこと)の間に誕生しましたが、その際に出た胞衣(えな、へその緒のこと)はこの山域に埋められたそうです。また、北麓の「湯舟沢」にある滝壺は産湯として使われ、西麓の阿木にある「血洗池」は、伊弉冉尊が出産の穢れを清めた場所と伝えられます。


【コースタイム】かなりキツかった
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【恵那山と大助師匠】
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【山頂近くで昼飯】
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【恵那神社  奥社】ここに『天照大御神のへその緒』が埋められているのか?
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【恵那山山頂と私】
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【下山後に恵那神社で御朱印を頂いた】
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【帰りに味噌カツ定食をご馳走になった】
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ご訪問して頂きありがとうございました。
超久しぶりの更新になってしまいました。サボりぐせが凄すぎる。


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妙見山へ登山
令和三年九月二十三日に妙見山へ登山
兵庫県川西市、大阪府豊能郡豊能町・能勢町(660.1m)

能勢妙見山は北極星の神様「妙見大菩薩」様を祀る霊場です。
北極星は天空に浮かぶ不動の星であることから“道を究めんと望む者に、道を指し示す”と言い伝えられ、
これまで多くの文化、芸能に関わる方々の参拝をいただきましたとのこと。

山体が信仰の対象であり、山頂近くには日蓮宗の関西地区における重要寺院である能勢妙見堂がある。
能勢妙見堂は正式名称を無漏山真如寺境外仏堂(けいがいぶつどう)能勢妙見山と称し、
能勢町地黄にある真如寺の飛び地境内であるが、本寺の真如寺よりもはるかに多くの参詣者を集めている。



【コースタイム】
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【妙見口駅前駐車場に駐車】
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【こんな道もあり】
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【鳥居】
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【扁額】
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【謎の建物、「妙見宗本瀧寺」殿?】
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【妙見山山頂】
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【昼飯】
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【おつかれ山】
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氷ノ山に登る
令和三年九月十九日に氷ノ山へ登山
兵庫県の養父市と鳥取県の若桜町の県境上にそびえる氷ノ山(1509.6m)


”須賀ノ山”の別名でも呼ばれることのある中級山岳で、日本二百名山にも指定される名峰として、
また兵庫県内最高峰の秀峰として多くの登山愛好家が足を運ぶ関西屈指の登山スポットとして知られています。


北側山麓の福定親水公園から氷ノ山避難小屋(氷ノ山越)を経由して
氷ノ山の北側から回り込み東尾根を通って下山するルートで登ってきました。

【登山ル-ト】
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【福定親水公園からすぐの登り口】
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【苔のイスみたい】
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【はしごで渡渉】
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【山頂】
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【三角点】
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【山頂非難小屋】
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【須賀ノ山神宮跡】
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【昼飯中は寒いのでレインコ-ト着用】
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【氷ノ山国際スキ-場のゲレンデ】
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【コースタイム、歩行距離、消費カロリ-】
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ご訪問して頂きありがとうございました。


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大神山神社 奥宮へ参拝
令和三年八月十一日に大神山神社 奥宮へ参拝
鳥取県西伯郡大山町大山1の大山山腹に鎮座しています。

大神山神社
式内社、伯耆国二宮で、旧社格は国幣小社。伯耆大山山麓(米子市)の本社と山腹(西伯郡大山町)の奥宮とがある。

大神山神社の御祭神は大己貴神(おおなむちのかみ・奥宮)あるいは大穴牟遅神(おおなむぢのかみ・本社)様で、
大国主神のお若いときのお名前です。
大己貴神(大国主神)は古事記、日本書紀、出雲風土記等の神話・伝説に多く示すように数々の御神徳をお持ちです。
特に国造りをなされたことから産業発展、五穀豊穣、牛馬畜産、医薬療法、邪気退散の神として有名です。


大山寺から石畳の参道をあがったところに大神山神社奥宮(※本社より中にある神社)があり、社殿は全国最大級の壮大な権現造り。もともとは僧が修験のために大山に登り、その道場として簡単な遥拝所を設けるようになったのが始まりとされていますが、創建・開創は出雲風土記、延喜式などに記載あるものの不明とされています。

神仏習合の中で大山寺と大神山神社奥宮は勢力を拡大し、寺院僧坊が多数存在し、寺側の勢いが大きいものの祭事はすべて神職により執り行われてきました。明治初等の神仏分離令により大智明大権現の社殿を大山寺から分離し現在の大神山神社奥宮に至ります。これらの歴史を背景として大神山神社奥宮には三つの「日本一」があります。


1つ目は、大神山神社に続く道を自然石を敷きつめた参道の長さが約700mで我が国最長であること。
2つ目は、社殿が国指定の重要文化財かつ国内最大の権現造りであること。
3つ目は、奥の宮幣殿にある白檀の漆塗りが日本一規模が大きくて美しいこと。ほか西日本最大級の神輿もあります。


もちろん、大山に登山をし下ってきてから参拝させて頂きました。


【大山山頂】
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【鳥居と社号標】
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【日本一長い参道】
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【手水舎】
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【拝殿前の階段】
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【あの狛犬】
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【うんの狛犬】
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【拝殿】
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【扁額】
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【大神山神社 御朱印】
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大山寺
大山寺は鳥取県西伯郡大山町(大山隠岐国立公園内)伯耆大山中腹にある天台宗別格本山の寺。
中国三十三観音第二十九番。山号は角磐山。本尊は地蔵菩薩。
奈良時代養老年間(約一,三〇〇年前)金蓮上人に依って開山されました。
 昭和の三年四度の火災に見舞われた本堂は昭和二十六年に再建されました。現在も尚、山内寺院十ヶ院、重要文化財阿弥陀堂及び弥陀三尊を初め、宝物類も数多く残され、実に山陰の名刹として、天台でいう所謂鎮護国家の霊場として更に、中国地方一円の人々から御先祖様に会える寺として崇敬を集めています。

大山寺は奈良時代に成立した山岳信仰の霊場であり、養老2年(718年)に俊方(金蓮上人)によって開かれたとされる。『選集抄』や『大山寺縁起』によると、俊方はある日大山で鹿を弓で射たが、その対象が鹿ではなく地蔵尊だったと知った。俊方は殺生は罪深いことだったと悟り、出家して「金蓮」を名乗り、草庵をむすび地蔵菩薩を祀った。この草庵が大山寺の起源とされる[1]。なお、この「起源」の説話が影響しているのか、現在でも、大山には石造りの地蔵が多数みられる。

平安時代に入って天台宗が統括するようになり、西日本に於ける天台宗の一大拠点となった。寺の住職である座主は比叡山から派遣され、ここでの任期を勤めた後、比叡山に戻って昇格するという、僧侶のキャリア形成の場となった。

古くから信仰の道である大山道が岡山県岡山市から南北に整備され、途中出雲街道とも交差することもあって、信仰だけでなく、商業交通の面でも発展した。

中世には尼子氏・毛利氏などの戦国武将からも崇敬され、盛んに寄進や造営がなされた。江戸時代に入ると一時、中村一忠によって寺領の一部が没収されたが慶長15年(1610年)、西楽院の僧正豪円が幕府に働きかけたことにより大山寺領3000石が安堵された。

明治8年(1875年)廃仏毀釈により大山寺の号が廃された。大日堂(現在の本堂)に本尊を移し、本殿を大神山神社に引き渡した。これにより大山寺は急激に衰退した。明治36年(1903年)に大山寺の号が復活した。昭和3年(1928年)には4度の火災に見舞われた。


【大山寺 山門】
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【本堂】
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【大山寺 御朱印】
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ご訪問して頂きありがとうございました。


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こんにちは、ご無沙汰しております。
ここ数日、職場とスマホからログイン出来なくて困っていました。
ログインしても違う方の管理画面が開かれてしまいます。
乗っ取られているのかと思っていました。

しかし今日、家のパソコンでも試したらログイン出来ました。
意味がわかりませんが家のパソコンだけは大丈夫みたいです。

なかなか更新できていませんが、ぼちぼち更新していきたいと思っております。