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eskky28

Author:eskky28
男、47才、A型
趣味はドライブ、サッカ-、読書(歴史)
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)

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日本の歴史とつながる週末御朱印さんぽ
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記
ナポリタンとツナ餃子
令和二年五月二四日


本日も洗車のみ以外は家から出ませんでした。
本当は散歩がてら「ヒロコーヒー」というところでスペシャリティコーヒーというものを、
一度飲んでみたいと思っていたのですが出不精で。
コーヒーマイスターが厳選したスペシャルな品質の豆だけを、
自家焙煎して鮮度の良いコーヒーとのことらしいです。


昨日ランチで、ナポリタンスパゲッティをつくってみました。
前回同様にTOKIOの国分太一の男子ごはん「春のパスタ祭り」のレシピを見ながら作りました。


またまた2人分ずつ作りました。
第一弾は、女性陣(嫁さんと娘)に。砂糖をレシピ通り入れたのですが、少し甘くなりすぎました。
粉チーズをかけてなんとか食べる感じでした。
第二弾は男性陣(息子と私)それを踏まえて、砂糖を半分に減らし、ニンニクチューブを少し多めに入れました。
粉チーズをかけないほうがおいしかったです。息子は最後までかけず大盛りを食べてくれました。


写真は撮り忘れました。結構な自信作でたらこスパゲッティより料理した感じがありました。


本日の夕食も「男子ごはん」のツナ餃子を作りました。
予想外の美味しさだったと書いてあったのですが、失敗してしまいました。
ぎりぎり食べれるという感じで。味が薄くなってしまいました。
4人分なので全てレシピの倍の分量を入れていたのですが、
塩だけ倍にするのを忘れていたと思います。


まあいつものことなのですが、やっぱり私は普通の餃子(王将)王将が好きですね。

【本日の夕食 ツナ餃子】
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【本日読み終えた本 生存者ゼロ】
いつも訪問させて頂いてる方が紹介していて面白そうだったのでGWに読もうと
ご訪問して頂きありがとうございました。古本でそのシリーズ2冊買っていました。ようやく本日1冊読み終えました。
現在のコロナと同じような感じかなと思い購入しました。なかなか怖かったですが面白かったです。
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たらこスパゲッティ
令和二年五月六日[G.W(ガマンウイーク)最終日]


令和2年のG.Wは本当に家から一歩も出ませんでした。
そして息子が一昨日ランチで、料理動画を見ながらペペロンチーノを作ってくれました。
はじめての料理ですが、家族4人で美味しく頂きました。


それに触発されて私も結婚してからはじめてランチを作ってみました。
最近TOKIOの国分太一の男子ごはん「春のパスタ祭り」を何気なく(簡単そうに作れると思って)見ていたのを思い出し、
ネットでレシピ(動画はなし)を見ながら作りました。普段は見た事もない番組です。

2人分ずつ作りました。
第一弾は麺が少し硬く(表示通り7分)、汁がないとのことでした。
第二弾はそれを踏まえたので、そこは良くなったのですが、
バター(マーガリン)が先程より5gほど多く入ってしまっただけで、
私と娘的には濃くて少し気持ち悪くなりました。
レシピ100gのところを85gにしていたんですがね。


ほとんど用意をしてもらい、何から何まで聞きながらなんとか完成しました。
一番おかしかったのは、計量器の上のボウルにバター80g、たらこ100gを入れて
なぜか230gだったことでした。「足して180gのはずなのになんでやねん?」と家族に
言いながらふとボウルを見ると混ぜるためのへらが一緒に入っていました。
久々に大笑いしました。


【本日のランチ たらこスパゲッティ】パンは嫁さんと娘が生地からオーブンで作ってくれました。
中にウインナーソーセージが入っていて凄く美味しかったです。
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武漢ウイルスが収束したら、また神社仏閣巡り、低い山登り、サッカー、子供たちの部活の応援など行きたいです。

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當麻寺へ参拝
當麻寺へ参拝(令和二年三月二十一日)
奈良県葛城市當麻1263にある寺院です。

當麻寺(たいまでら、常用漢字体:当麻寺)は、奈良県葛城市にある寺院。法号は「禅林寺」。山号は「二上山」。
創建時の本尊は弥勒仏(金堂)であるが、現在信仰の中心となっているのは当麻曼荼羅(本堂)である。
宗派は真言宗と浄土宗の並立となっている。
開基は聖徳太子の異母弟・麻呂古王とされるが、草創については不明な点が多い。
西方極楽浄土の様子を表した「当麻曼荼羅」の信仰と、曼荼羅にまつわる中将姫伝説で知られる古寺である。
毎年4月14日(2019年より、明治期〜2018年までは5月14日)に行われる練供養会式(ねりくようえしき)には
多くの見物人が集まるが、この行事も当麻曼荼羅と中将姫にかかわるものである。
奈良時代 - 平安時代初期建立の2基の三重塔(東塔・西塔)があり、
近世以前建立の東西両塔が残る日本唯一の寺としても知られる。
本項では寺号と行政地名については現地における表記を尊重して「當麻」とし、
人名、作品名等については「当麻」の表記を用いる。



前回からの続きで、二上山雄岳から雌岳に向かいます。

予定  9時30分(道の駅)→14時頃(道の駅)
道の駅ふたかみ→葛木倭文座天羽雷命神社→二上山雄岳→大津皇子のお墓→葛木二上神社→
二上山雌岳→當麻寺→十割蕎麦『薬庵』→道の駅ふたかみ


【雌岳山頂】雄岳から少し下って行くと三叉路があるのに道案内がなく迷いそうになりました。
當麻寺の方に進みたいのに反対側の大阪方面に進んでしまっては大変なことになります。
何故か迷わず皆が進む方へ私もついて行きました。すごい下りだったので間違えて戻るのも大変なので
登りの人に聞いたら雌岳方面で合っていました。
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【山頂にある日時計】ここでおにぎりを食べました。
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【山頂からの眺め 大阪方面】
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【山頂からの眺め 奈良方面】
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【太陽の道】
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【鳥谷口古墳】雌岳から下ったところに古墳がありました。
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【傘堂】珍しいお堂がありました。
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【當麻寺 仁王門】コロナのせいなのか、ほとんど人がいませんでした。
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【仁王像 開口の阿形(あぎょう)像】
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【仁王像 口を結んだ吽形(うんぎょう)像】
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【梵鐘】国宝。無銘ながら、作風等から日本最古級と推定される梵鐘で、當麻寺創建当時の遺物と推定される。2か所にある撞座の蓮弁の枚数が一致しない(一方が10弁でもう一方が11弁)等、作風には梵鐘が形式化する以前の初期的要素がみられる。鐘楼の上層に懸けられており、間近で見学することはできない。
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【手水舎】
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【本堂】高野山真言宗と浄土宗が並立しています。元来は学問を修める場所だったものが、やがて真言宗寺院となり、
その後浄土宗の発展に伴い、當麻寺の浄土曼荼羅が信仰の対象になりました。
その為、當麻寺にある沢山の建物の中で曼荼羅のある本堂のみが兼帯で管理され、他は宗派ごとに分かれているそうです。
他の建物の撮影はすっかり忘れていました。国宝、重要文化財が沢山ありました。
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【御朱印】真言宗が担当の年は「蓮糸大曼茶羅」、浄土宗の時は「蓮糸大曼陀羅」と「ダ」の字が変わるそうです。
この御朱印は真言宗ということですね。宗胤院(そいにん)というところではお地蔵様の絵も御朱印と一緒に書いて
下さるそうです。寄ったのですが電話予約が必要とのことを並んでいる方に伺いました。
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【蕎麦屋 薬庵】仁王門を出てすぐのところにあります。数量限定で無くなり次第終了みたいです。
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【おしそば】十割そばを美味しく頂きました。色が変わっていたような気がしました。
日にちが立ちすぎて忘れてしまいました。
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【二上山】蕎麦を食べてから二上山を拝みながら道の駅まで歩いて戻りました。一番右が雄岳、隣が雌岳です。
登りはきつくしんどかったですが、下りになってからは気分爽快でまた山に登りたくなりました。
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【本尊】
当麻曼荼羅
【宗派】
真言宗、浄土宗
【山号】
二上山
【創建】
伝・推古天皇20年(612年)
【開基】
伝・麻呂古王(聖徳太子の異母弟)
【札所等】
新西国三十三箇所第11番
関西花の寺二十五霊場第21番(西南院)
仏塔古寺十八尊第8番(西南院)
大和十三仏霊場第6番(中之坊)
大和七福八宝めぐり(中之坊)
法然上人二十五霊場第9番(奥院)
西山国師遺跡霊場第14番(奥院)
神仏霊場巡拝の道第32番
【文化財】
東塔、西塔、曼荼羅堂、塑造弥勒仏坐像ほか(国宝)
金堂、乾漆四天王立像、木造阿弥陀如来坐像ほか(重要文化財)
中之坊庭園(名勝・史跡)

【創建縁起】
当麻曼荼羅への信仰が広がり始めた鎌倉時代になって、ようやく各種書物や記録に當麻寺の草創縁起が見られるようになる。その早い例は、12世紀末、鎌倉時代初期に成立した『建久御巡礼記』という書物である。これは、建久2年(1191年)、興福寺の僧・実叡がさる高貴の女性(鳥羽天皇の皇女八条院と推定される)を案内して大和の著名寺社を巡礼した際の記録である。同書に載せる縁起によれば、この寺は法号を「禅林寺」と称し、聖徳太子の異母弟である麻呂古王が弥勒仏を本尊として草創したものであり、その孫の当麻真人国見(たいまのまひとくにみ)が天武天皇9年(680年)に「遷造」(遷し造る)したものだという。そして、当麻の地は役行者ゆかりの地であり、役行者の所持していた孔雀明王像を本尊弥勒仏の胎内に納めたという。
建長5年(1253年)の『大和国當麻寺縁起』によれば、麻呂子王による草創は推古天皇20年(612年)のことで、救世観音を本尊とする万宝蔵院として創建されたものであるという。その後、天武天皇2年(673年)に役行者から寺地の寄進を受けるが、天武天皇14年(685年)に至ってようやく造営にとりかかり、同16年(687年)に供養されたとする。『上宮太子拾遺記』(嘉禎3年・1237年)所引の『当麻寺縁起』は、創建の年は同じく推古天皇20年とし、当初は今の當麻寺の南方の味曽地という場所にあり、朱鳥6年(692年か)に現在地に移築されたとする。なお、前身寺院の所在地については味曽地とする説のほか、河内国山田郷とする史料もある(弘長2年・1262年の『和州當麻寺極楽曼荼羅縁起』など)。河内国山田郷の所在地については、交野郡山田(現大阪府枚方市)とする説と、大阪府太子町山田とする説がある。
以上のように、史料によって記述の細部には異同があるが、「聖徳太子の異母弟の麻呂子王によって建立された前身寺院があり、それが天武朝に至って現在地に移転された」という点はおおむね一致している。福山敏男は、縁起諸本を検討したうえで、麻呂子王による前身寺院の建立については、寺史を古く見せるための潤色であるとして、これを否定している。前述のように、寺に残る仏像、梵鐘等の文化財や、出土品などの様式年代はおおむね7世紀末まではさかのぼるもので、當麻寺は壬申の乱に功績のあった当麻国見によって7世紀末頃に建立された氏寺であるとみられる。


【中将姫説話】
当麻氏の氏寺として始まった當麻寺は、中世以降は中将姫伝説と当麻曼荼羅の寺として知られるようになる。「当麻曼荼羅」は、学術的には「阿弥陀浄土変相図」または「観経変相図」と称するもので(「変相」とは浄土のありさまを絵画や彫刻として視覚化したもの)、阿弥陀如来の住する西方極楽浄土のありさまを描いたものであり、唐の高僧・善導による『観無量寿経』の解釈書『観経四帖疏』(『観無量寿経疏』)に基づいて作画されたものとされている。なお、当麻曼荼羅の内容については別項「当麻曼荼羅」を参照。
当麻曼荼羅の原本については、中将姫という女性が蓮の糸を用い、一夜で織り上げたという伝説がある。中将姫については、藤原豊成の娘とされているが、モデルとなった女性の存在は複数想定されている。
當麻寺本堂(曼荼羅堂)に現存する、曼荼羅を掛けるための厨子は奈良時代末期から平安時代初期の制作で、当麻曼荼羅の原本は遅くともこの時代には當麻寺に安置されていたとみられる。しかしながら、曼荼羅の伝来や由緒にかかわる資料は平安時代の記録には見当たらず、曼荼羅の「縁起」が形づくられていくのは鎌倉時代に入ってからである。先述の『建久御巡礼記』によれば、当麻曼荼羅はヨコハギ(横佩)大納言という人物の娘の願により化人(けにん、観音菩薩の化身か)が一夜で織り上げたものであり、それは天平宝字7年(763年)のことであったという。12世紀末のこの時点では「中将姫」という名はまだ登場していない。13世紀半ばの『古今著聞集』(ここんちょもんじゅう)ではヨコハギ大納言の名は藤原豊成とされており、以降、父の名は右大臣藤原豊成、娘の名は中将姫として定着していく。中将姫の伝承は中世から近世にかけてさまざまに脚色されて、能、浄瑠璃、歌舞伎などにも取り上げられるようになり、しだいに「継子いじめ」の話に変質していく。話の筋は要約すると次のようなものである。
今は昔、藤原鎌足の曽孫である藤原豊成には美しい姫があった。後に中将姫と呼ばれるようになる、この美しく聡明な姫は、幼い時に実の母を亡くし、意地悪な継母に育てられた。中将姫はこの継母から執拗ないじめを受け、ついには無実の罪で殺されかける。ところが、姫の殺害を命じられていた藤原豊成家の従者は、極楽往生を願い一心に読経する姫の姿を見て、どうしても刀を振り下ろすことができず、姫を「ひばり山」というところに置き去りにしてきた。その後、改心した父・豊成と再会した中将姫はいったんは都に戻るものの、やがて當麻寺で出家し、ひたすら極楽往生を願うのであった。姫が五色の蓮糸を用い、一夜にして織り上げたのが、名高い「当麻曼荼羅」である。姫が蓮の茎から取った糸を井戸に浸すと、たちまち五色に染め上がった。當麻寺の近くの石光寺に残る「染の井」がその井戸である。姫が29歳の時、生身の阿弥陀仏と二十五菩薩が現れ、姫は西方極楽浄土へと旅立ったのであった。
この話はよほど人気があったようで、世阿弥や近松門左衛門らによって脚色され、謡曲、浄瑠璃、歌舞伎の題材ともなった。

Wikipiediaより抜粋


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葛木二上神社へ参拝
葛木二上神社へ参拝(令和二年三月二十一日)
奈良県葛城市加守に鎮座する神社です。

葛木二上神社(かつらぎふたかみじんじゃ、かつらぎにじょうじんじゃ)は、奈良県葛城市の二上山雄岳山頂付近にある神社である。式内社で、旧社格は郷社。二上神社、葛木坐二上神社(かつらぎにいますふたかみのじんじゃ)とも呼ばれる。



駐車場はないので、道の駅ふたかみ・パーク當麻「當麻の家」へ駐車させて頂きました。
40台ぐらい停めれそうでした。
家を7時50分頃出発し、下道で9時20分頃に到着しました。
駐車場は2,3台しか空いてませんでした。近くに公園もあるみたいで、小さなお子さん連れ家族や、
ハイキングに向かう方々など沢山来ていました。
私も参拝とハイキングを兼ねて来ました。一石二鳥です。


葛木二上神社は山上にあるので、御朱印は麓の葛木倭文座天羽雷命神社(かつらきしずりにいますあめのはいかづちのみことじんじゃ)の社務所で頂けるとネットで調べました。
しかし、コロナでなのかお留守で社務所らしいところは閉まっていて頂けませんでした。
また次回頂きたいと思います。

予定  9時30分(道の駅)→14時頃(道の駅)
道の駅ふたかみ→葛木倭文座天羽雷命神社→二上山雄岳→大津皇子のお墓→葛木二上神社→
二上山雌岳→當麻寺→十割蕎麦『薬庵』→道の駅ふたかみ


【三社の社号標】葛木二上神社、葛木倭文座天羽雷命神社、加守神社
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【葛木倭文座天羽雷命神社の手水舎】
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【手水舎にある看板】
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【鳥居?】
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【灯篭と階段と拝殿】
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【拝殿】
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【扁額】
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【拝殿の奥に飾られている蟹の額】
天忍人命は彦波渚武鵜草葺不合命生誕のときにその胎便(「蟹」と呼ばれる)を掃除したという神で、その子孫は蟹守(かもり)氏(掃部、加守、狩森などとも)と称した。当社の社家も蟹守氏である。附近の「加守」という地名も蟹守に由来するもので、当社は江戸時代まで「加守明神」と呼ばれていた。
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【猪よけの金網の柵】神社脇から登山道に続きます。
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【大津皇子のお墓】
飛鳥時代の皇族。天武天皇の皇子。母は天智天皇皇女の大田皇女。同母姉に大来皇女。妃は天智天皇皇女の山辺皇女。
異母兄の草壁皇子の政敵とみなされていて、天武天皇の崩御後、謀反の疑いをかけられ自害させられている。
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【大津皇子のお墓の看板】
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【葛木二上神社 拝殿】
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【二上山 雄岳山頂】
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【祭神】
豊布都霊(とよふつのみたま)神と大国魂(おおくにたま)神を祀る。豊布都霊神が石上神宮に、大国魂神が大和神社に勧請されたという伝承がある。豊布都霊神については布都御魂の名が有名だが、何故「豊」が名前に付くのかは不明。また、武雷神と同神とされる。大国魂神は国津神の大将軍とされる。
『神社要録』には「武甕槌命、大国主命」、『神祇志』には「紀豊布都霊神、大国神」と記載されている。元々は二上山の2つの山頂・雄山と雌山にそれぞれ男神・女神が祀られていたものとみられる。


【歴史】
創建の年代等は不詳である。二上山には石器の素材となる讃岐岩(サヌカイト)の層があり、古くから周辺に人が住んでいたものとみられる。文献の初出は、『日本三代実録』の貞観元年(859年)正月27日条、当社に従五位上の神階を授けるという記述である。延喜式神名帳では「大和国葛下郡 葛木二上神社二座」と記載され、大社に列している。
当麻寺中之坊所蔵の「当麻寺付近絵図」には二上山の雌岳に神蛇大王(竜王)を祭る社もあったことが記されており、現在は中之坊鎮守として遷座され、境内稲荷神社末社に竜王社の小祠となったとの伝承がある。当社との関係は不明。
近世には当社は「岳の権現」と呼ばれ、二上山からの水流を利用する数十か村の岳郷の氏神であった。明治6年(1873年)4月に郷社に列格した。

【創建】
不詳
個人的には、ウガヤフキアエズの誕生のときに掃除したという神で、その子孫は蟹守(かもり)氏(掃部、加守、狩森などとも)と称した。当社の社家も蟹守氏である。附近の「加守」という地名も蟹守に由来するもので相当に古いと思います。
確かウガヤフキアエズの末子が神武天皇になるはずです。

【社格等】
式内社(大2座)
旧郷社

以上Wikipediaより抜粋

長くなってきたので、次回にします。
次回、二上山の雌岳と當麻寺を書きます。

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宮地嶽神社へ参拝
宮地嶽神社へ参拝(令和2年二月二十三日)
福岡県福津市宮司元町7-1に鎮座する神社です。
駐車場は無料で100台ぐらい停めれそうでした。


宮地嶽神社(みやじだけじんじゃ)は、福岡県福津市に所在する神社。神功皇后を主祭神とし、勝村大神・勝頼大神を配祀する。


概要
全国にある宮地嶽神社の総本社である。毎年220万人以上の参拝客が訪れ、特に正月三が日には100万人以上の人々が訪れている。開運商売繁昌の神社として知られている。宗像地方では宗像大社と並んで参拝客が多く、日本一大きいと称される注連縄と大太鼓・大鈴も有名である。神社の参道には多くの土産店が立ち並んでおり、商売繁昌にちなんで招き猫やダルマを販売している店が多い。また「松ヶ枝餅」が売られている。餅の表面には宮地嶽神社の神紋・三階松紋がある。
その他、毎月末の深夜0時(明けて1日)には「朔日参り」と呼ばれるものが行われており、多くの参拝客が深夜にも関わらず詰め掛ける。そのため多くの出店が出店しており飲食店も開店する。
参道のうち、「男坂」と呼ばれる神社正面の石段から門前町を通り宮地浜まで至り相島を望む西向きの参道は、約800mに渡る直線道路となっている。9月の秋季大祭においては、この参道を御神幸行列が牛車で往復する。また、この参道の延長線上に夕日の沈む期間が、年に二期(2月下旬および10月下旬)あり、この夕日と参道が一直線に並ぶ光景は、2016年2月に放映された嵐が出演する日本航空のCMをきっかけに有名になり、「光の道」と称されるようになった。この時期には「夕日のまつり」が開催され、参道の階段は観覧席として使用する為閉鎖される。
2010年に屋根の一部が補修され柔らかい金色の荘厳な屋根となったが、チタン製屋根が採用されており、最新技術を伝統建築に採用された代表例となっている。(小野工業所施工、新日鐵住金TranTixxiiチタン)


歴史
宮地嶽神社の創建は社伝では約1600年前にさかのぼるとされ、息長足比売命(神功皇后)が、宮地岳の頂に祭壇を設け祈願して船出したのが始まりといわれる。
現在の境内は祭壇を設けたとされる宮地岳の山腹に位置する。また、宮地岳山頂には宮地嶽古宮の祠、日の出参拝所がある。



福岡遠征のもう一つの目的である、嵐のCMにでていた神社へ参拝させて頂きます。
前回の宗像大社へ参拝後道の駅で昼飯を食べてから宮地嶽神社へ参拝させて頂きました。

【 鯛ハマチ丼定食】みちの駅むなかたの食堂はまゆうにて。ワサビ醬油でなくゴマダレでした。美味しかったです。
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【第一鳥居】道路沿いにありました。
並んでいる時に地元の方が浜辺にも鳥居があるので、そこが第一鳥居になると教えて頂きました。
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【第二鳥居と社号標】鳥居の両脇に新旧の社号標がありました。
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【第三鳥居】
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【光る前の参道】
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【大太鼓】日本一大きいと称される注連縄と大太鼓、大鈴も有名だそうです。
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【第四鳥居】
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【第五鳥居とピラミッドみたいな山】階段を登りきり左へ約90°曲がり、バックにピラミッドみたいな山と一緒に現れました。
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【第六鳥居】
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【第七鳥居】今度は右に90°まがると最後の鳥居と神門が現れました。
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【神門】
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【あの狛犬】神門のところのスマートな狛犬でした。後ろに梅の花が咲いていました。
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【うんの狛犬】
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【神門の扁額】
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【拝殿と大注連縄】
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【境内に桜が咲いていました】
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【奥の宮八社の参拝口】今回は参拝出来ませんでした。参拝に約1時間ぐらいかかるそうです。
奥之宮三番社不動神社は日本一の大きさを誇る、横穴式石室古墳の中に霊験あらたかなる「お不動様」をお祀りしております。この古墳は地下の正倉院と呼ばれ、金の鐙(あぶみ)・冠(かんむり)・馬具類・大太刀等数多くの埋蔵物が発掘され、20点が国宝に指定を受けています。
いつか参拝させて頂きたいです。その時は朝一番にきて参拝後9時頃から並ぼうと思います。
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【行列】トイレに行くときに撮影しました。
光の道の観覧席(定員約350人)を求めて行列が出来ています。坂道の下のほうが先頭で坂の上で折り返しています。
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【境内にあった社号標】
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【夕日みたいな大太鼓】太陽が沈んだ後鳴らしていました。太鼓が夕日みたいに見えました。
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【撮影記念植樹】嵐の光の道CM撮影の記念植樹。
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【夕食のゴボウ天うどん】並んでいる時にご当地のオススメを聞き、一つ逆のサービスエリアによりました。
めちゃくちゃ美味しかったです。
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【光の道】かなり分かりにくいですが。
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【御朱印】年に2回、2月と10月の限定御朱印とのことです。
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【主祭神】
神功皇后

【創建】
(伝)神功皇后の時代

【社格等】
県社・別表神社

【御由緒】
ご創建は、約1700年前。当社のご祭神「息長足比売命(おきながたらしひめのみこと)」別名「神功皇后(じんぐうこうごう)」は第14代仲哀天皇の后で応神天皇の母君にあたられます。 古事記、日本書紀等では渡韓の折、この地に滞在され、宮地嶽山頂より大海原を臨みて祭壇を設け、天神地祇(てんしんちぎ)を祀り「天命をほう奉じてかの地に渡らん。希(ねがわ)くば開運をた垂れ給え」と祈願され船出したとあります。その後、神功皇后のご功績をたたえ主祭神として奉斎し、随従の勝村・勝頼大神を併せ、「宮地嶽三柱大神(みやじだけみはしらおおかみ)」としてお祀りしました。 以来、宮地嶽三柱大神のご加護のもとで事に当たれば、どのような願いもかなうとして「何事にも打ち勝つ開運の神」として多くの方に信仰されるようになりました。 当社は、全国に鎮座する宮地嶽神社の総本宮です。
ホームペ-ジより抜粋
Wikipediaより抜粋

ご訪問して頂きありがとうございました。
昨日3/21は奈良県の二上山の神社へ参拝後ハイキングしてきました。
1時間30分ぐらい登りっぱなしでめげそうになりました。寒さを気にしていましたがすごく暑かったです。
そしてきつかったです。肺とふくらはぎが。

次回、二上山の神社を書きます。

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